ゆりかご。

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おめでとうと、ありがとう。〜11月27日〜

作品名:けいおん!(けいおん!!)

 コンロの火を止めて一息つく。
 それまでコトコトと賑わっていたキッチンが途端に音を失う。
 濡れた手をエプロンで拭いながら壁時計のほうに視線を移すと、時刻はちょうど六時半を迎えようとしていた。大体計算通りといったところか。昨日のうちにある程度の材料は買っておいたから余計な時間を使わずに済んだ。
 心持ち安堵の表情を浮かべて憂はテーブルの上を振り返る。和洋中関係なしに並べられた料理の数々が、湯気を立ててまだかまだかと団欒のときを待っている。その中央でひときわ強い存在感を放つバースディケーキはこの日のためにこっそりと練習した自信作だ。唯一残念なのは、板チョコの上に書かれた文字が緊張のせいでわずかに歪んで見える点くらいだろうか。これでも一回目や二回目よりはうまく書けたほうなんだけど。
 きっと今ごろは軽音部の人たちにもいっぱいお祝いされているはず。梓ちゃんも今日のためにプレゼントを買ったと話していた。ちゃんと渡せたかな。梓ちゃん、ああ見えて誰かにプレゼントあげるの結構苦手そうだし……。確かプレゼントは新しいヘアピンだったっけ。お姉ちゃん喜ぶだろうなあ。
 嬉しそうなお姉ちゃんの顔を思い浮かべると自然と頬が緩んだ。一体どんな顔をして帰ってくるのか今から楽しみで仕方ない。早く帰ってこないかな、そう思った直後、玄関の鍵の開く音が聞こえた。「ただいまー!」という声と共に、頬を真っ赤にしたお姉ちゃんが軽やかな足取りでリビングに飛び込んでくる。
 十一月二十七日。
 今日は、他でもないお姉ちゃんの誕生日だ。


 若干作りすぎたかもしれないと思っていたが、そんな心配は杞憂に終わった。
 お姉ちゃんの箸は止まらない。テーブルの上を縦横無尽に行き来して料理をどんどんと胃に収めていく。その速度たるやさすがの憂も驚きを隠せないほどで、
「お、お姉ちゃん、軽音部でお菓子とか食べてこなかったの……?」
 と訊ねずにはいられなかった。お姉ちゃんがさも当然といった様子で顔を上げる。
「もちろん、いっぱい食べてきたよ!」
 それでこの食事量なんだ……。腕によりをかけて作った料理なので沢山食べてくれるのは嬉しいのだが、やはりお腹のほうも気遣ってほしい気はする。だからといって「無理して食べなくていいよ」と言い出せるわけでもなく、いじらしい自分の姿にちょっとだけ辟易する。本当はお姉ちゃんが美味しそうにご飯を食べている姿をずっと眺めていたいのだ。
 結局、お姉ちゃんは料理の三分の二ほどを軽々と食べてしまった。普段から食べるのが大好きなのは知っているが、やはり今日は気分が高揚しているのか、それが食事量にも影響しているようだった。
 お姉ちゃんの視線は今やテーブル中央のケーキに注がれている。まだ夕食が終わってから十分も経っていない。その底なしの食欲についつい苦笑。
「ういー、ケーキまだぁ……?」
「ちょっと待って、先にお皿片づけちゃうから」
 空いた食器を手早くまとめはじめる。キッチンからテーブルに目を向けると、お姉ちゃんが鞄から何かを取り出しているのが見えた。食器に軽く水を張ってからお姉ちゃんの元に舞い戻り、並べられたものたちに視線を落としてああとすぐに合点する。
「それ、みんなからのプレゼント?」
「うん! えっとねえ、これがりっちゃんのくれた、なんだかよくわかんないぬいぐるみで……、あ、結構かわいいんだけどね。それと、こっちは」
 一つ一つを手に取って、どれが誰からもらったものなのかを教えてくれる。お姉ちゃんの話を聞きながら憂はポケットの中に手を忍ばせた。小さく四角い箱の形を指で触って確かめる。
「これがあずにゃんのくれたヘアピン! 見て見て、すっごくかわいいんだよ。明日これつけて学校行くんだ! それで……こっちが澪ちゃんのくれたピック!」

 箱を触る指が止まった。

 え?という呟きが脳内でこぼれる。
 面持ちを硬くしながら今の言葉を反芻した。澪ちゃんのくれた、ピック……。そっか、澪先輩はピックをプレゼントしたんだ……。
「? どったの、うい?」
「う、ううん。何でもないよ!」
 お姉ちゃんの問いかけに慌てて首を横に振る。反動で手を引き抜いた瞬間、指が引っかかって中の箱がポケットから滑り落ちた。「あっ」落下した箱が床の上を転がりお姉ちゃんの足許でぴたりと止まる。血の気が引いた。なんでこんなタイミングで、しかもわざわざあんな場所に!
「これ……」
 当然お姉ちゃんはそれを拾い上げて不思議そうな様子で観察する。箱にリボンを巻いただけのシンプルな包装だったので箱の中身は一目瞭然だった。
「ピック?」
 数秒硬直したあと、観念して無言で頷いてみせる。
「実はそれ、私からの誕生日プレゼントだったの……」
 もはや隠しても無駄だと思い、素直に打ち明けることにする。
「お姉ちゃん、前に『今のピックのデザインがギー太と合わない』って言ってたから、それを思い出して、私なりにギー太とお似合いのものを選んだんだけど……なんか、澪先輩と被っちゃったみたいだね」
 図らずとも悲痛な声になってしまう。今にして思えば安易なチョイスだったと思わざるを得ない。ピックなんて軽音部の誰かが絶対プレゼントするに決まっている。もう少し捻ったものを選んでおけばよかった。後悔と恥ずかしさで胸が締めつけられる。
 お姉ちゃんの瞳をまともに見られず顔を横に逸らした。しばしの沈黙が降り、室内に時計の音だけが強く鳴り響く。
 お姉ちゃんが椅子から立ち上がったのはそのときだった。もらったプレゼントの数々もそのままに、駆け足で家のどこかへと消えていってしまう。不安の眼差しでお姉ちゃんの背中を見送ってから、テーブルに二つ並んだピックを見下ろして溜め息をついた。まさかこんな素敵な日に溜め息なんてつくとは思わなかった。
 やや重量感を増した足音が背後から近づいてくる。戻ってきたお姉ちゃんの首にはギー太がかけられていた。唐突なギー太の登場に驚いていると、お姉ちゃんがピックの入った箱を手にこちらを振り向いた。
「うい、これ開けていい?」
 うん、という返事は、面食らいすぎてうまく声にならなかった。
 鼻歌を歌いながらお姉ちゃんがピックを握る。ギターの音色が静かな部屋の中に広がりはじめる。息を大きく吸い込む音のあとに、温もりに包まれた歌声が聞こえた。
「はっぴばーすでー、とぅーゆー。はっぴばーすでー、とぅーゆー」
 誰もが一度は歌ったことがあるだろう、誕生日を祝う歌。ギターに彩られた音楽の中にお姉ちゃんの歌声が軽やかに入り込んだ。
「はっぴばーすでー、でぃあ……って、あれ。この場合は……ああそっか、わたしか。うーん、これ、どうやって歌ったらいいんだろう」
 演奏を止めてお姉ちゃんが眉を寄せる。口許に指を当て、中空に視線を泳がせている。
 その様子があまりにも真剣で、憂のほうも思わず、
「はっぴばーすでー、でぃあ、おねえちゃーん」
 と助け船を出してしまった。するとお姉ちゃんはこちらを振り返って、ぱあぁと、輝くような笑顔を浮かべた。
 そのまましばらくお互いに視線を交わし、軽く微笑み合ってみる。ギー太とお揃いの色をしたピックが再び弦を弾いた。さっきは一つだけだった歌声がもう一つ増えて二つになる。
 はっぴばーすでー、とぅーゆー。はっぴばーすでー、とぅーゆー。
「はっぴばーすでー、でぃあ、わたしー」
「はっぴばーすでー、でぃあ、おねえちゃーん」
 最後だけバラバラでも気にならない。歌は途切れることなく続いていく。
 胸に渦巻いていた不安も後悔も、一緒に歌っているうちにどこかへ飛んでいってしまっていた。今ここにはお姉ちゃんがいて、自分がいて、ギー太がいて、そしてお姉ちゃんは自分がプレゼントしたピックを手に歌を歌ってくれている。それら全てがどうしようもなく幸せなことだと感じずにはいられなかった。あったかな空気に包まれた今があるのも、お姉ちゃんがここにいてくれるおかげ。
 歌が終わり、ギー太の奏でるメロディも静けさに溶けて消えていく。溜まりに溜まったこの感情を短い言葉に乗せて解き放った。
「お誕生日おめでとう、お姉ちゃん」
 ――生まれてきてくれてありがとう。いつもそばにいてくれてありがとう。
 これからもずっと一緒にいてね。大好きな、私のお姉ちゃん。
「えへへ、ありがとう。うい」
 照れたように頭を掻くお姉ちゃん。ところが次の瞬間には視線がテーブルのバースディケーキに引き寄せられていくのが見て取れた。ケーキに釘付けになったお姉ちゃんを前におかしさがこみ上げてくる。やっぱりお姉ちゃんはどこまでもお姉ちゃんだ。
「そろそろろうそくに火つけよっか」
「あ、じゃあわたし電気消してくる! ふふふ、ケーキ♪ ケーキ♪」
 今日一番の浮かれた足さばきでお姉ちゃんが明かりを消しに行く。その鼻歌を一緒になって口ずさみながら憂もマッチに火を灯した。


(了)

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