ゆりかご。

ねむれない!

作品名:けいおん!(けいおん!!)

 それはもう大いに騒いだ、クリスマス会の夜のこと。
 憂が今日のことをしみじみ思い返していると、突然部屋の扉がノックされた。
「憂、入るよ」
 唯がかしこまった様子で部屋に足を踏み入れる。どうやら一緒に眠りたいらしい、手には枕が抱えられていた。憂は快く頷いて唯を招き入れる。ちょうど自分も同じ気分だったから、唯が来てくれたのが純粋に嬉しくて自然と笑顔になっていた。
 それが、一夜の長き戦いのはじまりになるとも知らずに。


 時計が午前一時を刻む。
 静かな室内に唯の寝息が響く。
 憂は雪が降る様子を浅い眼差しで眺めていた。カーテン越しに舞い落ちる雪が白と黒だけで描かれていて、まるで影絵を見ているような感覚に陥る。
 綺麗だ。個人的にホワイトクリスマスには素敵な思い出があるから、より一層窓の向こうに興味が湧いた。でもあの日のホワイトクリスマス以上に素敵なものは、この先ずっと見られないだろうと思う。たとえ本物の雪であっても越えられない光景が胸に宿っているのだから。あのときのことは今でもはっきりと覚えている。自分はどうやってあの日のお礼をしようかずっと考えている。

 隣の唯が身じろぎした。

 昔の記憶に囚われていた思考が一転、現実に引き戻される。しかし望んでいた結果にはならず、憂ははあと嘆息した。再び窓の外に視線を向ける。雪は休むことなくしんしんと降り続いている。
 とりあえずホワイトクリスマスのことはいい。それよりも今は考えるべきことがある。
 もうだいぶ前から唯ががっちりと抱きついてきて、身動きが取れずにいる――。



 お互いにプレゼントし合った手袋とマフラーが仲良く密着している。
 その持ち主たちも今や一寸の隙間もなくくっついている。
 背中に回された腕が絶対に離れまいとするかのごとく、きつく締められている。それだけならまだしも、胸元をぐいぐいと押しつけてくるものだから、どぎまぎしてしまって憂はちっとも眠ることができなかった。そのせいでさっきから無意味に窓ばかり見つめてしまっている。

 お姉ちゃん、あったかいなあ。

 身動き取れないとはいえ、ここまでしっかり抱きつかれているという事実にだんだんと胸が熱くなってくる。
 ベッドの上でこんなふうに強く抱きしめられたのって何年ぶりだろう。それどころかこうして一緒に寝ること自体が最近はなかったような気がする。別々の部屋に分かれたからそれも当たり前なのだけど、なんだか昔に戻ったみたいで懐かしさに胸がいっぱいになる。
 以前は、こうやってお互い抱き合って眠っていた。その事実すら遙か遠い過去の記憶みたいで寂しさと不安がこみ上げてくる。あのホワイトクリスマスの映像が脳裏をちらついた。唯がくれたあの日の思い出も、もしかしたら……。

「うう……ん」

 唯が体勢をずらす。頭を支配していた妙な思考が一瞬のうちに消し飛んだ。
 今度こそ離してくれるだろうか。もし駄目でも、ほんの少し距離を取ることができれば――!

 唯の脚が腰元に絡みついた。
 頭頂部に感じる柔らかい感触。ほっぺたを擦りつけられているのを気配で察知する。
 

 時計が午前二時を刻む。

   *

 本当にそろそろどうにかしないと……。
 何か色々と、自分でも把握しきれない事態になっている気がする。
 憂の身体はすっかり唯にがんじがらめにされていた。寝始めたときより密着箇所の多くなった状態で、憂の心臓はいよいよ早鐘を打ちはじめる。
 唯の匂いに、温もりに、全身がくまなく包まれている。その事実が憂の中で次第に大きくなっていった。昔ならこんなことは何度でもあった、あったはず、なのに……。
 今や憂の胸はどうしようもなくときめいて、顔はほのかに熱を帯び、身体中が火照りはじめている。自分でもおかしなことになっている自覚はあったが、だからといってどうにかなるものではなかった。時間が経つにつれて膨れ上がってきたこの疼きは、今さら抑えようとしても到底無理なほど強くなっていて……。
 恐る恐る顔を上げる。ほんのちょっとでもずれれば鼻先がぶつかりそうな位置に唯の顔があった。また一つ心臓が大きな音を鳴らし、無意識に呼吸が停止する。

 近い……っ!

 こんな、こんな近くにいたんだと、予想外の近距離に意識がさらに混乱した。遠慮が働いて唯のおなか辺りをずっと見ていたせいで、実際どれほどの距離にいたのかよく解っていなかった。おかげで不意打ちを食らったみたいに鼓動の速さが最高潮に達している。  ぱく、ぱくと金魚のように口を開け閉めしながら、何かが崩れる音を聞いた。
 

 もう駄目、我慢できない!
 

 それまで必死で堪えていた欲求が、ついに憂の中で爆発した。
 唯の身体を抱き寄せ、胸元に思いきり顔を埋める。
 心の中でお姉ちゃんお姉ちゃんと繰り返しながら、憂は一心不乱に唯の体温を感じた。心の底から落ち着く大好きな人の温もり。
 本当は、ずっとこんなふうに、自分のほうから甘えてみたかった。でもいつからかそれが簡単にできなくなってしまっていた。なぜかは解らない。でもお姉ちゃんは今も変わらず抱きついてくれているのに、自分が抱き返したことは数えるほどしかなかった。
 ああ、でも今感じているこの温もりは、昔感じていたものとそっくりで、だけど何かがちょっとだけ違っていて、懐かしさと新鮮さに満ち溢れていた。あのときとは変わったものもあれば変わらないものもある。そのわずかな「ずれ」でさえ、今は愛おしくて堪らなくて。
 
 今度お姉ちゃんに抱きしめられたら、抱き返してみよう。
 一つ確かな決意を胸に、憂はそっと目を閉じたのだった。
 
 

 時計が午前三時を刻む。
 二人分の穏やかな寝息が部屋に響いている。絶えず降り続ける雪だけが、抱き合って眠る二人のことを優しく見守っていた。
 
 
 (了)

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