ゆりかご。

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strawberry : F #1

作品名:ストロベリー・パニック

 カーテン越しに朝の光が射し込んでくる。
 制服に袖を通したところで、渚砂は妙な違和感に囚われた。

「……玉青ちゃん?」

 斜め後ろの少女に声をかける。心なしか距離のある場所で、玉青は明後日の方角を眺めていた。ぼうっとした視線の先には部屋の壁があるだけで、何かを真剣に見つめているという感じはしない。
 九月のいちご舎。いつも通り玉青に起こされて目覚めたはいいものの、それきり特に会話らしい会話もなく身支度を終わらせてしまっていた。普段ならそろそろ玉青が「さあ髪を梳かしましょうか」と言ってくる頃なのだが……今日の玉青はどうも心ここに在らずというか、元気がないというか、いつもの玉青じゃないように思える。

「ねえ、そろそろ時間だし……髪、お願いしてもいいかな?」
「――あっ」

 時間も時間なので恐る恐るそう問いかけると、ようやく我に返ったのか、ブラシを持った玉青がこちらに走り寄ってきた。申し訳なさそうな声が背後から降り注ぐ。

「ごめんなさい。決して無視していたわけではないんです」
「う、うん。大丈夫。わかってるから」

 あまりにせっぱ詰まった声色で玉青が謝ってくるものだから、それしか言い返すことができなかった。手早くブラシが上下するのを髪を通じて体感する。大事なものを扱うような優しい手つきを今日は楽しめそうもない。
 と、そのときだった。

「はあ……」

 玉青の溜め息が、渚砂の髪を撫でた。
 溜め息? あの玉青ちゃんが?

「ど、どうしたの玉青ちゃん。具合、悪いの?」
「いえ、何でもありませんわ……」

 とてもじゃないがそうは思えない。心配になって振り向こうとしたが「あっ、動かないで」と言われたので、渚砂は反射的に前に向き直る。妙な胸のざわつきが静かな部屋にうっすらと影を落としている。
 結局、部屋を出るまで玉青の表情が晴れることはなく、朝のうちに渚砂の不安が取り除かれることはなかった。

   *

 昼休みの鐘が鳴る。
 渚砂は席を立つと隣席の玉青に笑いかけた。

「あー、お腹空いちゃった! 玉青ちゃん、お昼食べに行こう」
「……」

 玉青からの反応はない。鬱々とした表情で机の上に視線を投げている。
 本当にどうしてしまったんだろう。こんなこと今までなかったのに。

「あら」

 何も言えずに立ちつくしていると千早たちが寄ってくるのが見えた。少し救われた気分で渚砂はこっちこっちと千早たちを招き寄せる。

「二人とも、お昼行かないの?」
「千早ちゃん、それがね……」

 言葉を濁して玉青のほうに目を移す。なおもじっと固まったままの玉青を前に千早が驚いた顔をした。紀子がむむむと顔を覗き込み、玉青の前で手のひらを上下に振ってみせる。

「……全然駄目ね」
「玉青ちゃん、聞こえる? もうお昼よ。渚砂ちゃんが待ってるわ」

 千早の呼び声に玉青が目を瞬かせた。頬に当てた手を外し、辺りをきょろきょろと見回しはじめる。

「皆さん……どうかしたんですか?」
「どうかしたって……」

 周囲から向けられる気遣いの眼差し。いかに自分の発言が的外れだったのか玉青も理解したようで、両手を胸の前で合わせながら首を傾げた。
「あ、えっと、ごめんなさい。お昼でしたよね」
「さっきからそう言ってたじゃない」

 紀子の厳しい指摘に千早がすかさず脇腹をつつく。眉を下げた玉青が場を持ち直すように作り笑いを浮かべた。

「せ、せっかくなので皆さん一緒にどうですか? ね、渚砂ちゃん」
「え、あ……うん。そうだね」
「そうね。今日の玉青ちゃん、なんかちょっと心配だし」

 千早の言葉に紀子もうんうんと頷く。しかしその反応にも玉青は苦笑いを返すだけだった。その痛々しげな態度を渚砂だけが離れた所で見つめていた。

   *

 お昼休みも、放課後も、夕食後も。
 玉青はやっぱりどこか変で、元気がないように思えた。
 次第にその理由が自分にあるような気がしてきて、渚砂は心中穏やかではいられなくなった。
 だって玉青ちゃんはいつも私に抱きついてくるし、腕組みだってしてくるし、可愛い可愛いって何度も言ってくるのに……。
 でも今日の玉青ちゃんは一切そういうことをしてこなかった。これってやっぱり、私に原因があるからだよね……。

 玉青に嫌われたかもしれないという予感が渚砂の胸を締めつける。それは今まで全く想像したことのない事態だった。あの玉青が自分を嫌うわけがないと思っていたのだ。しかしそれはあまりにも勝手な思い違いだった。
 寝る時間になっても玉青はこちらに意識を向けようとしてくれない。決して冷たいという感じではないのだが、なんだか自分の存在が玉青の中からすっぽり抜け落ちてしまったみたいで渚砂は急に泣きたくなった。泣きたくなるくらい、苦しくなった。
 玉青の何気ないスキンシップや、投げかけられる言葉の数々が、こんなにも自分にとって大切なものだったなんて。それらを得られなくなった今になってようやく理解した。はじめて会ったときは圧倒されるほどだった玉青の行動に、いつしかしっかり支えられていた自分を。玉青が触れてくれる、話しかけてくれる、話を聞いてくれる。その一つ一つに、どうしようもない嬉しさを覚えていた自分を。

「ごめん……」

 無意識に声が漏れる。玉青がわずかに顔を上げた。
 しかし言葉の続きはこみ上げてくる嗚咽に掻き消されてしまい、うまく口に出すことができない。

「渚砂ちゃん……?」

 身を跳ね上がらせて玉青が近づいてくる。肩を抱かれながら渚砂は絞り出すように台詞を紡いだ。

「ごめん、玉青ちゃん……私、玉青ちゃんを傷つけるようなこと、しちゃったかな……」
「どうして、そんな」
「だって……」

 間近にある玉青の顔はひどく心配そうだった。ああ、久しぶりに目が合ったな、と渚砂はちょっとだけ安心する。安心すると同時に抑えていた涙が溢れ出した。

「だって玉青ちゃん、今日一日ずっと……」

 ずっと、何なのだろう。ふと疑問に思う。「元気がなかった」というのもそうだが、そうではなくて、きっと本当に言いたいことはそういうことではなくて。でもそれが何なのか自分でも解らなくなっていて。
 玉青に何を伝えたいのか、渚砂はここに来て唐突に悩みはじめてしまった。玉青を心配していたはずが、いつの間にか違う気持ちを抱いていた自分を見つけてしまった。本当は……そう、本当のところは、玉青にまたこっちを見てもらいたくて、それで。玉青のことも心配だけど、それ以上に、自分の存在が彼女の中から消えてしまうのが怖くて堪らなくて……。

 肩を抱いていた玉青の腕が、渚砂の腰に回された。

「っ……」

 迷子になっていた渚砂の頭が瞬く間に透き通っていく。
 抱き寄せられたという事実に気づくまで、若干の時間を要した。

 玉青の温もりが全身を通して伝わってくる。ああこれだ、この感じだと胸が強い懐かしさを覚えた。強張っていた身体が玉青の髪の香りに緩んでいく。

「心配させてしまったみたいですね」

 耳許でそう囁かれ、止まりかけていた涙が再びこぼれてきた。声が喉に詰まって今度こそもう何も喋ることができなくなる。ただ「うん、うん」と頷いて玉青の胸に顔を埋める。

「ごめんなさい、渚砂ちゃん……。ちょっと考え事をしていただけなんです」

 涙がこれまでの不安を洗い流してくれる。
 そっか、考え事、だったんだ。
 なら仕方ないと思った。自分も今まで色々悩んできて、そのせいで玉青に気を遣わせてしまっていた。何度も何度も。よく嫌われなかったなと思うほどに。
 ずっとそばにいてくれて、欠かさずに自分のことを支えてくれた玉青。その存在の大きさを知ったからこそ、このまま甘え続けるわけにはいかなかった。玉青が苦しいときは自分が彼女のことを支えてあげたい、そう思うようになっていた。だって自分たちはルームメイトで、これまで生活を共にしてきた――親友で――。

 そう、親友で……。

 導き出された答えになぜだか鋭い痛みを感じる。

――私たちは親友なんだから。


 とても嬉しいことのはずなのに、どうして目の前の玉青にそう言ってあげられないのだろう。喉元まで出かかった単語が空気に触れることなく滑り落ちてしまう。
 親友、しんゆう、シンユウ……同じ単語がぐるぐると脳内を回り続けている。



 悩み事って、何だったの?
 だいぶ気分が落ち着いたあと、玉青にそう訊ねてみた。しかし玉青は最後まで曖昧に言葉を濁しただけで、頑なに何も語ろうとはしてくれなかった。



(続く)

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